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メトロノーム現象と灰汁

拙著「陸に上がって記者になる」(忘羊社刊)を新刊紹介欄に掲載いただき、その新聞がわが家に送られてきた。ページを繰って私は清々しさを感じた。新聞離れと言われて久しい。SNSの普及で私の古巣である西日本新聞社(福岡市)をはじめどこの新聞社も苦しい経営を強いられている。秋田魁新報社とて事情は変わるまい。とはいえ、卑屈にならず、奇をてらわず。真っすぐに読者と向き合う。真摯な姿勢を感じたのだ。

 「メトロノーム現象」という言葉を勝手に作り、あれこれ思いを巡らせたのは二十年ほど前のことである。初めての東京勤務。横浜市郊外での単身生活。ストレスてんこ盛りの日常に私はうんざりしていた。公園に高いフェンスが巡らされている。草野球のボールが住宅街に飛び込まぬためだろう。そのあちこちに「登らないで」の看板。「滑り台の階段を駆け上がるな」「ブランコのそばで遊ばないで」「バーベキュー禁止」「バイク乗り入れ禁止」…。

  いったい幾つの禁止看板があるのか。出会った人々の多くはギスギスし、あれこれ勝手な理屈を並べ立てる。思想的な右とか左とか以前のこと。「自分は正しい」「私は間違っていない」と言い募り、自らの非を認めようとしない。ハリネズミのように棘を立てた人々。私には、その顔がどれも同じに見えた。

 機械式のメトロノーム(拍節機)を三、四台同時にスタートさせると最初はバラバラだが不思議なことにやがて同期して全く同じように振れ始める。〇時〇分に家を出て地下鉄に乗る。〇両目が次の乗り換えに便利だ。〇時に机に座りメールを開く。仕事が終われば逆の手順で自宅に帰り、風呂に入って食事して寝る。 同じような生活環境にある都会人たちは似たような思考回路に陥るのではないだろうか。電車内のマナー。オフィスでの身の処し方。人工物に囲まれた彼らの生活の全てには暗黙のルールがあり、従わなければ落伍者のレッテルを貼られる。

 いま、この国の人々は縦、横、斜め、幾重にも分断されていがみ合う。都市生活者か、自然と触れ合いながらて生きている人か。この対立が根底にあるのではないだろうか。 マイナンバーカードのごたごたを引き合いに出すまでもなく、政治でも経済でも社会でも矛盾百出し、暗澹たる気分に陥る。しかし、うなだれる必要はない。人の世に矛盾や不善、悪の類が絶えることはない。それが顕在化してきたということは、ひずみが人々の許容範囲を超え、これを正そうという動きが始まったのだと私は思う。

 秋田の名物料理といえば「きりたんぽ鍋」。鳥ガラを煮出していくと灰汁が出るが、潜在的な矛盾や不善が煮出されて鍋の表面に白い異物として浮き上がった状態だろう。これを掬い取ればあとには透明で香り高いスープが残る。魁の記者諸兄に申し上げたい。永田町、霞が関発の情報が上位にあって地域からの発信は下位にあるというヒエラルキーは既に過去のものである。自らの内にある中央集権的価値観を克服して、力強く前に進んでほしい。

歴史を振り返れば、この国はいつの時代も地方から立ち上がって中央を変革してきたのだ。今は時代の変革期。ローカル発の情報にこそ価値がある。

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