清朝末期の作家・魯迅(1881~1936年)は、中国社会の困難の根底にあるのは漢字であると嘆いた。漢字は素晴らしい文字だがあまりにも数が多く民衆の識字率が上がらない。それが国の発展を阻害するのだと。中国にどれほどの漢字があるのか私は知らないが、卓上の漢和辞典でも二万字収録。現在
使われている文字だけでも十万字はあるといわれる。
毛沢東にも魯迅と同様の意識があったのかもしれない。漢字を簡略化した簡体文字を作って人民に普及させた。他方、台湾、香港、マカオなどの華人社会では従来の文字(繁体)を使っている。彼らの目から見れば、簡体文字は中国の伝統文化を継承するものではなく、漢字の略し方にはある特徴があるという。
親→亲。親と会えない
愛→爱。愛に心がない
産→产。お產に生がない
廠→厂。厰の中は空っぽ
麺→面。麵に麦がない
運→运。運ぼうにも車がない
導→导。導くに道がない
兒→儿。児童に頭がない
雲→云。 雲に雨がない
開→开。開こうにも門がない
郷→乡。鄉に男手がない。
簡略化しそうなのに簡略化されなかった文字もある。
魔は魔のまま
鬼は鬼のまま
騙は騙のまま
貪は貪のまま
毒は毒のまま
黑は黑のまま
賭は賭のまま
賊は賊のまま。
これらは毛沢東時代の社会の実情を反映しているのかもしれない。何か政治的な意図があったのかもしれない。私の友人(台湾高雄市在住)は「漢字の優雅さが失われた。簡体字は漢字ではない。大陸には中国の伝統はなく、四千年の文化を伝えているのは台湾だ」という。漢字の形が人の心に深く影響することを示していて興味深い。
日本への漢字伝来は五世紀のころとされる。先人たちは中国語の発音に依拠した「音読み」と日本古来の言葉の意味に合わせた「訓読み」を漢字に当てた。その後、表音文字である平仮名を作っている。私たちは普段意識しないが、日本留学の経験がある魯迅はその便利さを痛切に感じたのであろう。
中国では小学校六年間で三千字を教える。小一で千字。その教科書は以下のように始まる。天地人、你我他(第一課)。一二三四五、金木水火土(第二課)。口耳目(第三課)。やがて文字数も増え、画数も多い文字が登場し、唐代の白楽天などが紹介されている。読める字は「識字」。書くことができる字は「写字」。多くのページに「暗記せよ」の指示がある。
ペンがワープロになって「読めるが書けない」字が増えた。私の実感だが、多くの人が同様の思いであろう。中国ではそれを「識字」と「写字」という言葉で明確に区別している。
日本成人が使う漢字は概ね三千字と言われるが、時代や職業によってもさまざまだろう。日本では小学校一年生で平仮名五十一字と八十字の漢字を習う。これによって自ら発音できる言葉を曲がりなりにも書くことができる。戻って中国では「学前識字1680字」などの市販教材を親が買い与え、幼稚園児が尻を叩かれているというから半端ではない。同国のSNS微博(ウェイボー)には「可愛そうだが仕方ない」「学校に入ってから虐められる」などの親たちの声が散見される。一人っ子政策の結果、一人の子供に親たちが注ぐ愛と情熱、苦悩の深さが滲んでいよう。
使える漢字の多寡が個人の教養とリンクする。日本人にとっては曖昧でつかみどころのない「教養」が数値化されている。中国社会はデジタル的である。際立った競争・学歴偏重社会である。いま中国の若者に流行っている病がある。高等教育を受けても職がなく、車は買わない、マンションも望まない。なにも消費しない、将来に意欲も持たず横たわる。「寝転がり族」である。若者たちの無気力。現代中国の根深い病であろう。魯迅は識字率が低いことを嘆いたが、高学歴社会にはまた別の問題が横たわる。
とても興味深い内容でした。中国という国を管理している上層階級は子供の時からその読み書きする膨大な漢字数を身につけることからスタートして過酷な受験勉強をこなして大学卒業してそこからさらに選別されている構造になっているというのが今理解できましたよ。大昔の科挙試験の時代と同じく儒学教育忘れてトップに立った官僚が国を支配するとああいう外交をやるのは必然なんだろうと思いました。
本文にも書きましたが、この話は台湾人の友人から聞いたことです。このような視点で中国の言葉、文化を考えることは日本では少ないかもしれません。